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題字 西尾智美さん
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安倍七騎とは
具体的には誰なのか
地名・伝説に残る安倍七騎
小説「安倍七騎」
登場人物・相関図
小説「安倍七騎」とその風景
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安倍奥観光案内
七騎のつぶやき(ブログ)
ヘッドライン先情報
サイト名
七騎のつぶやき
サイトの説明
安倍七騎に関することや徒然に思い浮かんだことを書いていきます。
作成
CLOG
サイトURL
http://abeshichiki.eshizuoka.jp
山神考―yamagami-koh― (vol.236)
vol.232では、奥池ヶ谷城落城伝説を、物語り風に紹介しました。 城主友任氏の家族は、結果として散り散りに逃げて、みな哀しい最期を遂げたわけですが、友任氏本人は、口仙俣の「広海戸」(「広海道」とも云う)というところで切腹したと伝えられます。その後友任氏は、口仙俣で「山神」として祀られるようになりました。 ときは同じく戦国時代のことで、玉川地区より川下の津渡野には、津渡野城の落城悲話が残っています。この城のお姫様は、山越えをして清沢村(現葵区坂本)まで落ち延びましたが、やはり自害して、「姫山神」として祀られました(『清沢村誌』)。「山神」などは、岩手県の遠野地方の伝承を記した『遠野物語』(柳田国男著)にも出てきますが、「姫山神」とは、珍しい呼称だと思います。 いずれにせよ、安倍・藁科川筋界隈では、不幸な最期を遂げた人は、その実力や身分相応に、「山神」「姫山神」となるようです。また、土地の人がそのように呼ぶのには、憤死者に対して哀悼の意を捧げることのほか、その怨霊・災禍を恐れての思いがあるようです(―丁度それは、出雲大社に祀られている神のように―)。 そう云えば、口仙俣の住人白鳥玄可の放った矢によって斃れた大石五郎右衛門(安倍七騎)も、死後「山神」として祀られたと『玉川村誌』は伝えます。五郎右衛門の死後、その愛刀「備前守正則」が不幸をもたらすといった伝説があるので、これなどは、五郎右衛門の怨霊を恐れて「山神」としたように思えます。
(2012/05/02 22:14)
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講演会(vol.235)
去る3月11日、静岡市議会の静友クラブ(代表:白鳥実先生)のお招きで講演(タイトル「郷土の歴史と地域の振興」)を行いました。200名ほどの方がおみえになり、安倍奥や奥藁科の地域振興活動の報告などを中心に、お話をすすめました。◎ 安倍七騎について 〇 安倍七騎とは?…… 里人安倍七騎と云家々、彼の家此の家とて一定ならず、想に安倍の谷の土著の地下人、永禄、天正の頃武田家に屬し、戰功ありし者を當時安倍七騎と稱せしならん ……『駿河志料(一)』(駿府淺間新宮前神主 中村高平著 / 文久元(1861)年11月脱稿) 〇 “七人の侍”は誰だ?此村(俵峯村)杉山、望月、足窪村の石谷、落合村の狩野、村岡村の末高、柿島村の朝倉、中野村の海野 …… 上落合の大石、牛妻村の森谷沢に一人(氏姓未詳)……『駿河国新風土記』(新庄道雄著 / 天保5(1834)年脱稿)~ ほか、安倍七騎とされる武人たち ~大村彦六郎(油島村)、村松某(安倍谷)、長倉佐渡守(長熊村)、遠藤伝蔵(遠藤新田村)、 海野弥兵衛(郷島村)など 〇 伝説にみる安倍七騎 ・ 代々アワビを祀る朝倉家(柿島村 / 葵区柿島) ・ 謎めいた刻石「元和十三天」~ 大石五郎右衛門のお墓 ~(柿島村支村上落合 / 葵区上落合) ・「立ン場」(柿島村支村上落合 / 葵区上落合)と「引落シ」(俵峯村 / 葵区俵峰)の地名の由来◎ 郷土の歴史は“地域資源” 〇 郷土史由来の商品をつくる ~ 安倍奥の会 ~ 〇 郷土坂本の歴史を後世に ~ 坂本愛郷の会 ~ 〇 地元玉川小学生による歴史ナビ ~ 玉川地区青少年健全育成会 ~
(2012/03/18 20:48)
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歌の力: 森下よしひささんの死を悼んで (vol.234)
先月、森下よしひささんが53歳で亡くなられた。森下さんは、葵区水落の交差点から日吉町方面へのびるケヤキ通り沿いに、「フォークテラス 海風」という飲食店を構えていた。店名から察せられるとおり、森下さん自身がシンガーソングライターであった。朝倉氏(安倍七騎、柿島村名主)の菩提寺、曹源寺で行われたイベントでは、鐘楼の台座に腰掛けて、馴染み深いフォークソングを歌ってくれた。森下さんのアルバム『ただいま』の中に、「虹をつくる場所」という歌がある。これを聴くたびに、―ああ、森下さんは、 ♪ 地平線の向こう側に いつかあると聞いた 世界中に笑顔運ぶ 虹をつくる場所を 今目指して‥ 旅立たれたんだ―と思う。ここ一週間ほど(―ほとんど「終始」といっていいくらい―)私の頭のなかを、この歌がめぐっている。これは、“歌のみが持ちうる力”であると思う。終始、森下さんの軽やかで、かつ力強いの歌声が、私の頭の中をめぐっているのだから。そういえば、私が車中でこのCDばかり聴いくので、妻もいつの間にか、前出の部分を口ずさむ。妻にとっても、大好きな歌のひとつとなったようだ。森下さん、素敵な歌をありがとう!!そして、さようなら…。
(2012/03/03 00:08)
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子どもに見せたくない番組(vol.233)
「子どもに見せたくない番組―― 国会中継」と、新聞の「読者の広場」にあった。これには共感するものがある。討議というよりも、“悪口”“貶(けなし)しあい”にとれるから、ということだ。和(話)を以って尊しとなすわが国の立法の祖、聖徳太子の言葉を、忘れてはならない!!
(2012/02/26 20:32)
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小説 友任哀史 ―ともどう・あいし― (vol.232)
ときは永禄年間――。 ひっそりと寝静まりかえった安倍奥玉川の奥池ヶ谷城界隈は、摺墨(するすみ)を押し流したかのような闇夜であった。この戦国の山城の脇をはしる安倍街道は、北辺の甲斐の虎、武田信玄入道に不穏な動きあらば、駿府の今川氏真邸に早馬を飛ばす軍用道路である。 その道を粛々とおし進み、城の大手口を取り囲む一団があった。馬口に食ませた枚(ばい)を解いたか、その嘶きと共に城門を打ち破る槌音が鳴り渡る――。 すわ、ふいを衝かれた城主友任は、寝所の戸板を蹴破って庭に立つと、家来どもを城の要所要所へと差配し、自らも弓をつがえて、修羅の鬼と化した。しかし、箙(えびら)に束ねた矢数を上回る敵勢である。やがて矢が尽き剣も折れると、妻子、家来をうち連れて城裏手口から脱した。が、友任一行のその先を清流中河内の流れが阻んでいる。ときを待たず追手が迫るは必定であった。友任は我が命には諦めがつくが、不憫に思うは妻の胸に抱かれた赤子であった。一計を案じた友任は、妻に中河内川の浅瀬を指し示してこれを渡らせると、残兵(ざんぺい)に鬨(とき)の声を上げさせて、嫡子(ちゃくし)とともに川上へと遁(はし)った。 その後、友任は川上の仙俣村で切腹。嫡子はその手前の栗駒で敵の刃にかかった。 爾来、嫡子討ち死にの栗駒の森を“御曹司の森”と云い、父の願い叶わず水没した赤子の淵を“赤子淵”と呼ぶ。 ―― 了 ――
(2012/02/18 22:21)
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安倍七騎とは
遠い昔、安倍川流域に「安倍七騎」と呼ばれる"七人の侍"がいたという伝説がある。
この武士団については諸説あり、史料や伝える人々によって、南北朝時代、今川時代、武田時代と様々。
七人の姓名もまちまちではあるが、安倍川流域に確かに存在した英雄たちであったことは間違いない、.
小説「安倍七騎」
著者・発行者 浅羽克典
発売元 静岡新聞社
印刷・製本 図書印刷
ISBN 4-7838-9689-5
第7回静岡県自費出版大賞受賞作品
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