安倍七騎-安倍七騎とは何者だったのか-

安倍七騎にまつわるお話


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題字 西尾智美さん

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安倍七騎とは何者だったのか?

安倍七騎―。
安倍七騎は、静岡市を流れる安倍川の流域で語り継がれている謎の武士団です。
『修訂 駿河國新風土記』という書籍があります。
これは江戸時代の駿府の国学者、新庄道雄という人(現静岡市葵区江川町在・葵区籠上の長栄寺にお墓あり)が書いたもので、天保5年(1835)に脱稿したものです。それを、昭和50年に足立鍬太郎さん修訂、飯塚傳太郎さんが補訂し、県立中央図書館に蔵されております。
この一説に、

此郡の俗説に安倍七騎の武士と云ふことあり、
           何れの時より云しことにや詳ならず、…

と、あります。
江戸幕末期においても、「詳細についてはわからない」となっています。
「今川に仕えた武士団だ」
「いや、武田だ」
などといった具合で、その時代も定かではありません。
 今川家家来説を取る人には、七騎の一、杉山氏の家紋は「丸に二両引き」という、今川家の家紋と同じだから、今川の家来だとする人がいます。けれど、「主家を七度(ななたび)かえて弓矢を取る者こそが武士だ」といった時代。己の器量を時勢に乗った主家に預けるといった戦国の世の武士なのです。これは江戸期の「忠臣蔵」にみるような武士とは明らかに異なります。
今川のあとに駿河に勢力を伸ばした武田に与した、安倍川流域の七人の剛の者を「安倍七騎」としたと私は考えます。
伝承に、「安倍七騎が、丸子城(現静岡市駿河区)のあたりで武田方の一軍を率い、徳川に一泡噴かせた」とか、「遠州小山城(現榛原郡吉田町)で篭城戦を戦い抜いた」といったものがあります。
ですから、私は武田家駿河統治下の武士団として、“小生の説”、小説『安倍七騎』として描いた次第です。